気候変動問題のパイオニア・真鍋淑郎氏、日本の地球温暖化研究のあり方に疑問

bannar

プリンストン大学において、今年のノーベル物理学賞受賞者である日本人気象学者の真鍋淑郎氏が講演を開き、日本の問題点について話しました。同氏は、日本の「和」を捨て、アメリカの「素直さ」を求めるべきだと言います。

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日本では気候変動問題がすぐには受け入れられず、不満を抱えていた

「日本では、何か質問をすると、『はい』か『いいえ』しか返ってきません。」

真鍋さんは、気候変動の解明に貢献した功績で受賞した火曜日、満員の聴衆を前にそう語りました。

日本人が『イエス』と言っても、それは必ずしも『イエス』を意味するものではない。対してアメリカでは自分のやりたいことができる。他の人がどう感じるかなんて気にしない、というのです。

この言葉は冗談半分で受け止められましたが、日本の政策立案者や学界が耳を傾けるべきメッセージが込められているでしょう。眞鍋氏は、率直さよりも面子を重んじる文化を批判し、日本の伝統的に強固な科学技術コミュニティを弱体化させる可能性があると指摘します。

眞鍋は、大学卒業後すぐにバブルの時代を脱したいと考え、アメリカに渡りました。1958年、東京大学で気象学の博士号を取得した後、渡米。二酸化炭素濃度の上昇と地球の温度上昇との関係を示すコンピューターシミュレーションを開発するなど、最先端の研究を行いました。

しかし、真鍋の気候モデルも、地球温暖化の真実も、すぐには受け入れられず、本格的な行動に移すのには時間がかかりました。1992年、ブラジルで開催された地球サミットで「気候変動枠組条約」が採択され、やっと気候変動への認識が広まったのです。しかし、その後も温暖化に懐疑的な意見が主流であることに変わりはありませんでした。

眞鍋は、日本にまつわるさまざまな不満を抱えていました。国籍をアメリカに変えた理由を尋ねられると、彼は単刀直入にこう答えたのです。

「日本には帰りたくないんですよ。日本には帰りたくない。」

今後日本が気候変動問題をリードしていくために、研究者の待遇改善は必須

眞鍋は、地球規模での温室効果ガスの排出削減を定めた国連条約「京都議定書」が採択された1997年に、現在の科学省にあたる機関で気候変動予測研究の責任者に任命され、一時帰国した。日本では、気候モデルを用いて地球温暖化の影響を評価するスーパーコンピュータ「地球シミュレータ」のプロジェクトに参加しました。

日本滞在中、真鍋氏は日本の官僚制度に巻き込まれ、異なる研究機関間の調整に膨大な時間を費やしました。また、人手不足や日本独特の風習により、本音を言えないこともあったと言います。もし、真鍋氏がずっと日本で過ごしていたら、このような歴史的偉業は成し遂げられなかったかもしれません。前例のないことに果敢に挑戦する研究者にとって、日本は決して良い環境ではなかったのです。

安定した研究資金や若手研究者向けのポストが不足しており、その結果、画期的な研究成果は減少しています。日本人のノーベル賞受賞者ラッシュはいずれ消滅するとの批判も少なくありません。

眞鍋氏が批判した日本の科学界の構造的な問題は、科学者と政策立案者の間のコミュニケーション不足に起因します。日本ではアカデミアと政府中枢の間のギャップが非常に大きく、科学技術が政治的に優先されることはほとんどないのです。今後、気候変動を救う可能性のある優秀な科学者の研究を妨げないために、政府との連携を強化し十分な支援が受けられる環境を整える必要があるでしょう。

参考記事:Physics Nobel rewards work on climate change, other forces – Fakty Miami

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